『天の意思』『天魔』とは?

『天』とは?
【天官賜福】の中で、一念橋の鬼を倒した者を見るため、旅人に扮して地に降り立った神武大帝君吾。
彼の問いに「身在無間、心在桃源」と答えた謝憐の言葉は、大きな挑発として君吾の心を突き刺しましたが、その後謝憐は飛翔します。
謝憐の飛翔は神武大帝君吾(ジュンウー)の意志ではなく、また他の神々も、誰がいつ飛翔してくるのか分かりません。
どうやら飛翔させているのは『神』ではないようです。

また、師青玄(シーチンシュエン)の兄師無渡(シーウードゥー)が受けた天劫(天から与えられる試練)も、神々にはいつやってくるのかわからず、制御する事も出来ません。

ではこれらは一体どんな存在のなせる業なのでしょうか?
【烈火澆愁】の中で、盛霊淵は『天魔』となりました。盛霊淵も「81の天雷(天劫)も引き寄せ、避雷針と化して」いました。

盛霊淵「赤淵と天魔は同じ血統だ。赤淵が封印されるなら、当然天魔も一緒に埋葬されるだろう」
彼は赤淵と運命を共にすることとなりますが、それを承知で赤淵を封じようとしました。
丹離「力ずくで赤淵を鎮圧するのは『天の意思』に反する。今、全ての部族が統一され、赤淵の封印は解かれた。きっと『天の意思』がそれを正そうとしているのだろう・・・。」
どうやらそこには『天の意思』というものがあり、盛霊淵には背く事は出来ないようです。
阿洛津「あなた(盛霊淵)の生死は生まれた時から縛られ、生死は『神』によって支配されているわけではないんだ・・・」
盛霊淵の生死は、『神』ではなく『天の意思』に支配されているようです。
『天の意思』であるなら仕方がない、どうしようもない、と言うような描写は、中国アニメ等によくあるシーンではないでしょうか。それを『神』がさらりと言ったりするのです。
中国のソーシャルゲーム【原神】の中でも、そんなシーンがあったかと思います。
中国思想では『神』の上に、更なる上位の存在がいるようです。
日本人である私たちにとっては、神様が一番力を持っていて、願いを叶えてくれる。奇跡を与えてくれる。神様が全てをコントロールしている。そんなイメージありませんか? 神は正しく、清く、善悪を律する存在である、というような。
しかし、【天官賜福】に登場する神々もそうですが、日本神話やギリシャ神話等も、出てくる神々はけして完璧な存在ではなく、喜怒哀楽を持ち、感情にも支配され、ほぼ人間と変わらず間違いも犯します。元は人間だった神も多数存在し、人間にとても近い存在です。
そんな神には手の届かない領域、それが『天』のようです。

この世界の『造物主』はどうやら神様ではないのですね。
『天』は『宇宙』であり、宇宙には法則があり、これこそが神様であっても制御できない、逆らえない、といったことに気付かされます。
丹離「神あれば魔あり、光あれば影あり、・・」
東洋思想に基づく『陰と陽』ですね。
光は影があるから存在でき、影も光があるからこそ、存在するのです。
どちらか一方だけでは存在できない、それは宇宙の秩序(調和)を成立させるために必要な対極であり、これは神であろうともどうすることもできない、『自然の法則』です。
生あれば死あり。「神あれば魔あり」。『天魔』も天地の法則の一部と考えられ、世界のバランスを保つために必要な存在なのですね。
これらの法則を『造物主の意志』とし、人間も神であろうとも、宇宙に存在する全てのものは宇宙の法則に組み込まれている、といった思想が、中国の方々には常識的に取り入れられているのでしょうか。

『天の意志』を『天理』そのものとするのか、その法則を守らせようとする何者かの存在であるのかは、様々な作品によるところなのでしょう。
私たちの『運命』は、努力や選択で変えることが出来るかもしれませんが、『天命』=『天道』となると、天から与えられた避けがたい使命や役割であり、秩序を保つためにどうやらあらがえないようです。
天魔である盛霊淵は、そんな『天道』に抗いました。このストーリーにおいて展開が気になるところでもあります。

『魔』とは?
中国の宗教的な思想では、世界は【天界】【人界】【冥界】といった『三界』に分けられています。
宣璣「欲望と執着がなければ、人は悪魔になることはできない。」
【烈火澆愁】には人魔、天魔が出てきました。一般的には人間が強い執念や怨念により魔に堕ちた存在、または魔性を持つ人間を指すようです。
【烈火澆愁】のストーリー的には、盛霊淵が『劫』と一言で表されています。天魔は天の法則に組み込まれた厄災、人魔は人の心が生み出した魔、といったところでしょうか。
【天官賜福】の花城は鬼になりました。日本の『鬼』とは全く違って、イケメン・・いやいや、大きな角や牙があったり、こん棒をもった鬼のパンツ?ではないですね。
中国の『鬼』は、死者の魂・亡霊を指し、日本で言うところの幽霊や怨霊のようです。
これについては、【魔道祖師】の中で、魏無羨が教えてくれました。
「妖は人間以外の生き者が化けたもの
魔は生者が化けたもの
鬼は死者が化けたもの
怪は人間以外の死者が化けたもの」
『妖』とは代表的なのは狐でしょうか。狐が生きたまま変化できる力を持てば『妖』。死んでから化けたら『怪』『怪物』。
そしてこれらはみんな完全悪ではありません。きっと心があるからですね。
鴻俊「邪悪なエネルギーが集まると『魔』となる」【天宝伏妖録】
この場合は心から分離されたエネルギー体であり、完全悪の塊『魔』なのでしょう。
とはいえ、人の心が作り出したモノです。
心がありそうでない『人工知能』
ウルフ「『無許可フレームワーク』を持つ自立型人工知能が作られれば、元の意図がどれだけ良いものであっても、どれだけ人類の友のように見えても、プログラムが人類への愛に満ちていたとしても、最終的には人類の敵になってしまうだろう」【残次品】

![]()
ついでの考察
【天官賜福】の中で、『神は人々の信仰がなければ神ではいられなくなる』とあります。人々から忘れ去られてしまうと神ではいられなくなってしまいますし、法力も信者の数によって変化しています。
ディズニー『ピーターパン』では『妖精は人間に忘れられてしまうと消えてしまう』といった設定があります。
これは『観測されるまで物理的な対象は確定した状態を持たない』という量子力学に通じるのではないでしょうか?人の意識が存在を確定させるというような。
(万物はすべて単一の『普遍的な意識(心)』に存在するという観念一元論)
人々の意識が神や妖精を実在?させるのであれば、『造物主』とは・・・?
・・・私たちの潜在意識・思い込みが作り出すこの世界を十分味わえるように、秩序を守るもの(ルール)、それが『天理』であり、『天の意志』なのかもしれませんね。